人は、一人では生きていけません。
そんな言葉を、よく耳にします。
陳腐な言葉です。
言ってる本人が一番わかっていないことも多いでしょう。
ですが…真実です。
私の気持ちに気付いて欲しい。
私のほうを見て欲しい。
いっそ私だけを見て欲しい。
誰しも持つ声。
それが叶えられなかった時、人は様々な行動をとります。
そのひとつなのです。
「リストカット」は。
人の手首には静脈が通っています。
これを切断する事ことは、大量の出血を伴います。
場合によっては失血死する事もあるのです。
これが、もともとの「リストカット」の意味でした。
つまり、それは自殺だったのです。
ですが、昨今それは事情が変わってきているようです。
私の声に気付いて欲しい。
それが、その声の形が「リストカット」という行動に具現化しているのです。
私のとある友人に、このリストカットに魅せられた少女が居ました。
私は彼女に、「やめろ」とは言えませんでした。
先ほども申し上げたように、リストカットとはいわばひとつの自己アピールです。
「心配だから止めて」などと言えば、それはむしろ「心配してやるからもっとやれ」と言っているようなものなのです。
とは言え、まったく無視してしまうのも問題があります。
命を賭したリストカットという声さえも届かなかった少女が次に選ぶのは「死」でしょうから。
けれど、私が「やめろ」と言えなかったのはそれだけではありません。
私は彼女の「痛み」を知らないのです。
そんな状態で、安易な慰め以外のどんな言葉をかけられるでしょうか。
私は悩みました。
彼女は明るく振舞います。
本心をペルソナ(仮面)の下に隠したままで。
よく見れば見えるでしょう。彼女の笑顔の下にある、涙が。
少なくとも、私にはそう見えました。
そして私は、リストカットをしました。
自分の手首を切ったのです。
彼女の心の痛みを知る事は出来ない。
だけど、肉体の痛みならば、知る事ができるかもしれない。
そこに、彼女のペルソナを剥がす鍵があると信じて。
カッターの刃を手首に当て、ゆっくりと引きます。
薄く皮が切れ、じわじわと赤い血が滲み出しました。
けれど、これではまだ不十分です。
もう一度カッターの刃を手首に当てた私は、今度は思いっきり引きました。
ぶつ、という不気味な感触が皮膚の下に広がり、次の瞬間には。
私は、自身の血に塗れていました。
痛みは、予想よりも小さなものでした。
それよりも、喪失感の方が大きかったような気がします。
朦朧とする意識の中、私は思いました。
彼女は、この痛みを、喪失感を、今まで何度味わったのだろう、と…。
彼女は、笑っています。
私も、笑っています。
彼女のペルソナはそう簡単に剥がせるものではありません。
ですが、私は確かに、彼女の本心を垣間見る事が出来たような気がしました。
彼女の笑顔は、少しだけ、違っているように見えました。
それは、ペルソナの形作った笑顔だったのでしょうか…?
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